セムラーイズム
長い間、本棚に眠っていたのを引っ張り出した
1995年くらいに受けた、「企業を見るめがね」という研修が終わった後に副読本として渡されたものだと記憶をしている。中身については何の説明もなく渡されたので、活字量に圧倒されてそのままになっていた
何しろ、B5で上下に段に小さな文字で300pの本なのです。10年以上の時を経て、何か訴えかけるものがありましたので、ぱらぱらと見てみると・・・
人間誰でもが持つ自由を求める心と人間の間の相互信頼の力がこれらのプログラムを生み出し、その実行を可能にしたのだ・・・285p
つまり、この本は21歳で親の事業を受け継ぐことになったリカルド・セムラーという若手経営者が、経営にくたびれ果てて、これまでの常識を疑い、もうちょっと楽にならんものかと悩んだあげく、社員の常識に頼って経営をしてみたらうまくいったという話だった
まさしく、これは、私がやりたいと思っていたことをすでに実践をして、結果を出した先輩がいたってことでした。amazonの書評などを見ると、Druckerの実践だという内容のものもありますが、実際のところはわかりません。ただ、管理者と情報の関係に気づき、経営情報を徹底的に共有したら社員は自分で考えて必要な判断をできることがわかったので、余計な管理職はいらなくなって、フラットな組織になったというところは、Druckerの情報型組織の事例だといえるでしょう
セムラーは、実験を繰り返しながら、官僚制の本質についてこう考えるようになります
ひょっとすると自分は不必要になるのではないかという心配と不安のある場合に、自分の必要性を証明することに執心する人種にとって作り出される。そして、一度ボスとなれば、常に何か仕事をしていなくてはならない彼らは、自分の必要性を確かにするために手当たり次第に物事を複雑化するのに熱中する
つまり、「管理職」という地位が官僚制をつくり、組織の中に無駄な仕事をつくるせいで、組織は肥大化し、身動きが取れなくなってしまうのだ
Druckerは、組織は定義として、構成員が少なければ少ないほど良いと喝破した
セムラーは、組織の肥大化に歯止めをかけるために、社員に「管理職」を評価し、選ぶ権限と責任を与えた。同様に新規の採用も社員の同意なくしては入社できなくなった。現場の人間が成果をあげることに貢献できない人は必要ないと考えるとそれを判断するのは現場の人が適切なのだ
1995年というのは、リクルートがちょうどオレンジショックから団結し、仕事の仕方を急激に変えていた時期にあたる。「企業を見るめがね」という研修はこの変革がどういうものであるかの議論を引き起こすための媒介になる場であった。おそらくは、セムラーイズムで描かれているような形で経営を進めるよというメッセージだったのだろう
それにしても、10年前にこの本を読んでいたら、どう感じたのだろう?
プロフェッショナルの条件と同じく、読みすごしてしまったのだろうか?
いずれにしても、今と同じようには読まれないのでしょう
リクルートとセムラーの共通点は、徹底的な情報共有とフラットな組織なのかなぁと今から振り返ると思う