集合天才を目指す

私は集団の創造性を信じています。

平凡な人でも、仲間と力をあわせれば、凄いことができる。もし、そうでなければ、普通の人の人生はたまたま運良く、優秀なリーダーに巡りあわない限り、良い人生にはならないことになってしまいます。

凄いことを成し遂げた人には、多くの場合、相方がいます。

日本の例でいえば、ソニーの井深さんには盛田さんが。本田さんには藤沢さん。松下さんには高橋さん。

海外では、ジョブズにはウォズニアックが、ヒューレットにはパッカードが、セルゲイにはページが。

もちろん、彼らは平凡な人ではないけれども、単に天才というだけなら、もっと、優れた人はいたでしょう。

ただ、現実的には、平凡な人は並以下の人生で終わってしまうことが少なくありません。だから、多くの人は何とかして、いい会社に入ろうともがきます。

実際のところ、凄いことを成し遂げるには、規律が必要です。当たり前のことをやっていたのでは卓越できないことは明らかです。一人ひとりが考える力を高めつつ、お互いがお互いの力を引き出しあい、無我夢中になって取り組み続けてしまった挙句に後から振り返ってみたら、凄いことになっていたというものです。

 

では、なぜ、一人でやろうとするのでしょうか?

いろんな要因があるかと思いますが、面倒だとか迷惑をかけそうだとか、報われない可能性があるという不信感や既得権者にとっては、一人ひとりが孤立して、力がない状態の方が都合が良いということもあるでしょう。

人間関係においても、組織関係においても、ひとたび一人ひとりがバラバラになるとその状態で安定してしまって、状況を変えるのはなかなか容易ではありません。自分で考えずに、指示に従うという状態は、指示をする側にもされる側にも双方にとってもメリットのある状態なのです。この状態を変えるようとすることは、そう簡単にはうまくいきません。

自由には責任が伴います。

一人になることはとても危険で不安なことです。

 

それでも、独裁制ではなく、民主制を取ってきているのは、その方が学習が進むからです。

 

知識とは力でした。日本の学校では教えないようにしてきたことでした。

誰もがすごくなるわけではありません。創造性とは、当たり前のことの積み重ねの上に、たまたま起きるものです。つまり、準備のないものには訪れないチャンスなのです。

相乗効果があります。なかなかうまくいかない人は、一人でやろうとし過ぎていることが少なくありません。