直観は過たない、過つのはエゴである
ソフィアバンクのディレクターである藤沢さんも引用されていますが、田坂先生がよく使われるフレーズです。
私は、直観は過たない、過つのはエゴ(意識)であるの方が正しいのではないかと思います。
ロジカルに比較検討した結果、結局間違いで、最初の直観が合っていたという経験は、誰にでもあるのではないでしょうか?何も考えずに無欲に打者と向き合ってきたピッチャーが、勝ちを意識した瞬間に打ち込まれたりするのも似た現象でしょう。
私たちは、毎日無数の判断、行動をしていますが、その大半は無意識のうちに、常識・習慣に沿って行動しています。直観で決めるというと無責任のように聞こえるかもしれませんが、直観とあてずっぽうは違います。
あてずっぽうには根拠はありませんが、直観には、これまで積み重ねてきた、検証された仮説、事例の裏付けがあります。人間的な成長とは、結局、直観がことごとく的中するように検証、事例を積み重ねるということではないでしょうか?
奇跡の経営には、直観で決めると書かれています。なぜなら、直観だけがコンピュータにはできない人間固有の強みだからということなのです。
人間的な場、組織をつくるためには、人間にしかできない直観を大切にするという姿勢が必要なのかもしれません。
協力と競争による共創
私の組織づくりの原点はボート部にあります。
それは、意図せざる偶然がもたらしてくれました。
10月〜2日の陸トレ期間を3〜5名の小チームに分かれて、それぞれ自分たちのやりやすい時間に練習するということをしました。たまたま、プロテインのモニターになったことで、毎日の練習と食事の記録をつけていました。
月に1度、保健体育センターで検査があります。
KPIの最大酸素摂取量(VO2Max)、ATレベル(無酸素運動になる限界値)、加速度(筋肉が出せる力)を測定してくれます。
チームによって、やっていることが違っているので、結果に差が出ます。より良い結果を出しているチームのやり方を他のチームは真似するわけです。真似される側は、さらに伸ばすために、調べ始めます。運動生理学や食事法、全日本チームの練習法や世界チャンピオンの練習法などまで。言われてやっていたら、ここまでやらないのではないでしょうか?
私は、少チームに分けて、記録をつけさせ、月に1度測定し、結果の報告をさせるということが主体的で創造的な仕組みがつくれると知っていたわけではありません。
そもそもの動機は、冬の間、自由になりたかっただけでした。
これは、スゴイことです。リーダーは聖人君子である必要はないのです。
相手を理解する 立場に立つ
『相手の立場で』あるいは『相手の視点で』は思いやりーダー(第5水準のリーダー)になるにあたって、非常に重要な鍵です。
似て非なるものに、『相手のために』があります。
その違いは何でしょうか?
たとえば、親が子供に言うように、相手のために良かれと思って言っても、
「わかってる!」とか「今やろうとおもったのに」とか反発されることが少なくありません。一歩下がってみてみるとそれは上から目線で、相手を外から自分の視点で見て、評価しているので、反発されるのかもしれません。あからさまに言えば、「バカだなぁそんなこともわからないのか」と批判したり見下したりしているのかもしれません。
2次データ(マーケットリサーチなどの調査)をもとに、ニーズを予測して商品開発やマーケティングをするのも、実は同じことではないでしょうか?
一歩踏み込んで、相手はなぜそのような行動をとったのか、相手の立場に立って理解しようとしてみます。そうするのが妥当に見えるような状況があったのかもしれません。あるいは何らかの思い込みがあったのかもしれません。実際に現地現場現物にふれて、事実に基づいて想像し、仮説を立ててみる。そして実際に試してみて検証する。
アチーバスにおいては、この仮説検証のサイクルが高速回転します。理解しなければ、全員で達することができないからです。その仮説があたって、「理解してもらえた」「わかりあえた」と感じられた時、感激するし、これがたいへんな快感なのです。
人は多かれ少なかれ、人とわかりあえずにうまくいかなかった経験で傷ついています。普段は忘れていても、何かの拍子に思い出されて判断を誤らせたりします。うまくいっていない人に共通している心理として『孤独』と『無力感』があります。誰もわかってくれない、自分はダメなんだとかと思い始めるとますますうまくいかない悪循環に陥っていってしまいます。ありもしない困難を想像し、消極的になってできることもできなくなってしまったりしまます。
あるいは、他者の気持ちはわからないけれど、孤独になりたくないので、人を支配しようとする。もっと力(権力・金・能力)があればと力の追求をする暴君になるかもしれません。
だからこそ、「理解してもらえた」「わかりあえた」という体験は非常に大切なのです。スターウォーズや最近では、ファインディングジョーなので知られるところとなった、神話のパターンがあります。何か自分の課題に気づくために、旅に出て仲間と出会いチームによる挑戦と困難の克服をします。この経験によって、人は癒され優しくなり、自分の存在を受け入れて、人と比べるのではなく、分かちあい助けあうことができるようになります。
アチーバスを通じて、相手の立場に立ち理解しようとすることで、「理解してもらえた」「わかりあえた」、という体験をして、毎日の生活や仕事をデザインし直せば、仕事自体が自分を癒す手段になってゆきます。リーダーになってゆく成長とは癒しそのものだということです。誰かの困っていることを理解して、こうなったら良いのにと考えてゆくように仕事をデザインするために、『デザイン思考』の商品開発に取り組んできました。その上でこの概念をうまく伝える手段を求めていたところにアチーバスに出会いました。
相手の立場に立つきっかけをつくることが私がアチーバスに取り組んでいる理由でもあります。