Bellnoteについて

商号  合資会社ベルノート

所在地 〒460-0003

名古屋市中区錦1丁目15-8 アミティエ錦第1ビル

TEL 050-5875-4744

資本金 103万円

役員    無限責任社員 鈴木 利和

営業種目

1.個人及び企業の経営活性化のための人材教育並びに研修業務

2.労務コンサルタント業務

3.事務合理化及びコンピュータ利用に関するコンサルタント業務

4.園芸に関するコンサルティング

決算期  毎年8月 (年1回)

取引銀行  三菱東京UFJ銀行名古屋営業部

関連会社

Global Proactive Partners

62 Tran Tong St., Danang City Vietnam

TEL +84 5113-816 959 (ベトナム語)

1967年3月3日生まれ
1991年名古屋大学法学部卒業後、リクルート入社
配属は名古屋支社でB-ing編集
2000年4月東京に転勤になり、コーチング事業の検討とHRDの商品開発
2001年4月多摩大学大学院で経営情報専攻
2003年10月 卒業(MBA)
2005年4月 HRD部門の分社化でリクルートマネジメントソリューションズへ出向
2005年12月 リクルート定年退職
2006年1月 合資会社ベルノートに専念(設立自体は2000年3月3日:33歳の誕生日)
2009年1月 HRIベトナムの立ち上げを受託。日本とベトナムの往復生活始まる
2010年8月 HRIベトナムの代表を退任
2010年10月 リーダー輩出と観光促進を目的としたベトナム法人GPPを設立
2012年7月 再生可能エネルギーから参加型民主主義の輪を広げてゆくために地域エネルギー創発ネットを結成
2014年10月 ダナンの職業訓練校Minh Khoi Nguyenに参加。ベトナム人研修生の育成に関わる。
2015年3月 ベトナムでの第2の拠点として、ホーチミンのホテルのマネジメントに参加

私の人生において決定的な転機になったのは、
ボート部での経験でした。20年ぶりに全日本の
準決勝に進出する過程で、人とチームの関わり、
フロー体験などベースになる体験がありました。

リクルートへの入社動機はボートの体験から最強
の組織づくりを研究したいということでしたが、
なぜか編集職で仕事に身が入りませんでした。

今にして、思えば編集職というのは、創造性の
研究・実践には最適の仕事だったのですが、
この頃は、全然わかっていませんでした。

入社当初はいわゆるバブルでしたが、翌年には
いわゆるオレンジショックが起きて、人がどんどん
減ってゆくという苦しい時期を体験しました。

その時支えになったのは、事業の存在意義でした。
自分たちは社会正義を実現しようとしていると信じて
いました。情報によって世の中の不平等をなくす。

つまり、限られた情報の中からよりは、多くの選択肢
の中から選べた方が良い。それまでは、情報を独占
している側が価格やサービスを決めていて、何も知ら
ない人はそれを受け入れるしかありませんでした。

今では、インターネットの普及によって、良いサービス
を世の中に知ってもらうコストは下がり、こんなことは
当たり前になりました。

しかし、その頃は、地道に自分たちの目で見て確認をし、
情報を加工して発信することで世の中を変えてゆこうと
していました。だからこそ、大きな借金を抱え、いつ倒産
してもおかしくないという状況の中でも価値を信じて夜
遅くまでかかっても仕事をやり抜けたのだと思います。
事業目的は働く人のよりどころであることを実感しました。
1999年にはコーチングに出会い翌年2000年の3月3日の
33歳の誕生日にこの会社を起業してしまいました。
一人ひとりの創造性を引き出しながら全員が主役の組織
づくりのイメージがあったのです。

ところが、会社の中でそれをやってみないかということに
なり、初めて名古屋を出て東京に転勤することになりました。

全員が主役の組織のモデルとして複雑系の研究のために、
田坂教授がいる多摩大学大学院に進学をしました。
そこで、思いがけず、野中先生の共同研究者である紺野
教授
から知識創造の方法論を学ぶことになりました。

ボート部での原体験。リクルートの混乱と復活のプロセス。
個々人から創造性を引き出すコーチング
個々の想い・情報を組織の知識創造につなげる方法論
情報による組織と社会の変革

が組み合わさって、プロジェクトを通じて創造性を発揮し、
社会の変革、組織の変革、自己の成長を同時に進めて
ゆくサービスの骨格ができあがりました。

そして、定年を迎えて15年間勤めたリクルートを退職し
大学院などで創造性の研究をしながら、企業・個人に
サービスをするという今の姿になりました。

自分自身未知の状況への挑戦ということで、
ベトナム法人の立ち上げを請け負いました。
海外から日本を観ることによって、視点の変化がおきました。

自ら価値創造しなければ、お金に支配されてしまうということです。
企業で上から言われたことをしている人
特定の企業に依存する下請け企業
地方交付税に依存する地方
開発援助をあてにする発展途上国が
おかれている状況は似ています。

振り返ってみると、その時の状況によって、目標や手段
は変わっても、「個人の可能性を開花させたい」という
目的は変わらないということにあらためて気づきます。

平凡な人でも、仲間と力をあわせれば、凄いことができる。もし、そうでなければ、私たちの人生は生まれた時ほぼ決まっていることになってしまいます。どんな才能をもって、どこに生まれたかで人生が決まってしまうなら人生に希望を持つことは難しい。

たとえ、貧しく、学校にいく機会や選択の余地がなかったとしても、その苦労がいつか報われる時が来ると信じられるなら、全力を尽くして悔いのない人生にできうると考えるからです。

凄いことを成し遂げた人には、多くの場合、相方がいます。

日本の例でいえば、ソニーの井深さんには盛田さんが。本田さんには藤沢さん。松下さんには高橋さん。

海外では、ジョブズにはウォズニアックが、ヒューレットにはパッカードが、セルゲイにはページが。

もちろん、彼らは平凡な人ではないけれども、単に天才というだけなら、もっと、優れた人はいたでしょう。

ただ、現実的には、平凡な人は並以下の人生で終わってしまうことが少なくありません。だから、多くの人は何とかして、いい会社に入ろうともがきます。 普通の人の人生はたまたま運良く、優秀なリーダーに巡りあわない限り、良い人生にはならないことになってしまいます。

凄いことを成し遂げるには、規律が必要です。当たり前のことをやっていたのでは卓越できないことは明らかです。それを一人で継続することは容易ではありません。しかし、努力をするのが当たり前の環境:一人ひとりが考える力を高めつつ、お互いがお互いの力を引き出しあい、無我夢中になって取り組み続けてしまった挙句に後から振り返ってみたら、凄いことになっていたという環境は自らつくることができます。

 

では、なぜ、一人でやろうとするのでしょうか?

いろんな要因があるかと思いますが、面倒だとか迷惑をかけそうだとか、報われない可能性があるという不信感や既得権者にとっては、一人ひとりが孤立して、力がない状態の方が都合が良いということもあるでしょう。

人間関係においても、組織関係においても、ひとたび一人ひとりがバラバラになるとその状態で安定してしまって、状況を変えるのはなかなか容易ではありません。自分で考えずに、指示に従うという状態は、指示をする側にもされる側にも双方にとってもメリットのある状態なのです。この状態を変えるようとすることは、そう簡単にはうまくいきません。

 

それでも、独裁制ではなく、民主制を取ってきているのは、その方が学習が進むからです。

英雄物語で繰り返し語られるのは、チームで困難を克服することがそれだけ難しいからでしょう。

 

集合天才は力でした。戦後の日本の学校では教えないようにしてきたことでした。

誰もがすごくなるわけではありません。創造性とは、当たり前のことの積み重ねの上に、たまたま起きるものです。つまり、準備のないものには訪れないチャンスなのです。

相乗効果があります。なかなかうまくいかない人は、一人でやろうとし過ぎていることが少なくありません。